気まぐれ日記 09年1月

08年12月はここ

1月1日(木)「新年がスタート・・・の風さん」
 例年、早起きして、空いた道路をミッシェルで疾走する。初売りの達磨を買いに行くのだが、昨年の大当たり(1等と2等)の達磨がまだそのままなので、今年は欲張らないことにして、10時まで寝ていた。
 起きてすぐ郵便受けをチェックしたら、どっさり年賀状が来ていた。子供らにはほとんどなく、現代人が年賀状の習慣から遠ざかっている実態をまざまざと見せつけられた気がした。民営化した郵便局が苦労するわけだ。
 昨夜、長男に来客があり、そのまま年を越したらしく、まだ我が家にいる。京都で学生生活を送っている友人だが、年末年始を実家で過ごさなくていいのだろうか。今朝未明まで働いていた長女が、1日だけの休みを利用して帰省するとメールが来た。それとは、えらい違いだ。
 朝食前に新たに出す必要性が生じた年賀状を3枚作成した。
 結局、昼過ぎに帰宅した長女と、長男の友人もまじえ、お節と雑煮で新年を祝うことにした。長男の友人にとっては意外な対応だったらしく(ずっと居座っているその子の行動の方こそ意外だったが)、本人はうろたえていたが、我が家の味に感動していたようだ。あまり私がその子(もちろん男)に話しかけるので、長男が焼き餅を焼いていたのは意外だった。意外なことの元朝だ。
 最後に、子供らに恒例のお年玉を配り、最後にその子にも形ばかりのお年玉とおまけの拙著(『美しき魔方陣』サイン入り)を上げたら、もう卒倒しそうなリアクションを見せてくれたので面白かった。
 その後、ワイフと近所の神社に、徒歩で初詣に出かけた。昨日よりもさらに風が強く、寒かった。神社に着くと、既に社務所は閉まっていて、氏子らが賽銭箱を拝殿の奥へしまうところだった。今頃初詣に来る奴が変わっているのか。しかし、まだ2時過ぎだというのに。そもそもこの神社、鳥居の前の狛犬の配置が左右逆になっている。阿吽の呼吸というが、向かって阿が右側、吽が左側になければならない。それが反対なのだ。
 帰りにコンビニでアイスクリームを買い、寒風の中、アイスクリームを食べながら家へ向かっていたら、小雨が降ってきた。ワイフより先に走って帰宅しなければならなかった。なぜなら、洗濯物を取り込むように命令されたから。
 恐ろしいころに、一昨日、Amazonで注文した商品が、昨日発送され、もう届いた。これがインターネット時代の現実だ。世界同時に経済が動くという事象は、田舎に我が家でも実感できる。
 夕方、また2階の書斎周りのゴミ出しをやった。古いワープロを3台、特殊物入れにしまった。シュレッダーが不調で動かなかったので、ちょっと不機嫌。
 その間に、長男の友人がようやく帰って行ったが、長男の部屋で自転車の鍵をなくしたらしく、後で母親がトラックで自転車ごと迎えに来た。
 3月の学会発表の準備を始めたが、頭が痛くなった(笑)。この続きは明日だな。

1月2日(金)「本当に正月?・・・の風さん」
 長女が名古屋へ帰るので、目覚ましで7時に起きた。連日8時間睡眠だったので、寝不足を感じる。とにかく、長女を無事に駅まで送ることができた。長女は今日も昼休みもない激務になるのだろう……が、頑張れー。
 3月に二つの学会で連続して発表するので、同じ元データでも、切り口を変えて発表できるように、両者を対比してシナリオを考えた。どちらも仮説があって、検証実験(シミュレーション)とその結果が続き、考察で終わる構成だ。
 昼食は書斎周りのゴミ出しPart.5。ペーパーシュレッダーが昨日は動かなかったので、刃の間にはさまった紙片を、長楊枝でせっせとほじくり出したら、動くようになった。ペーパー挿入感知センサーを妨害していたらしい。
 3時過ぎに、ウォーキングに出発した。今日はやけに風が強いので、ミッシェルの中にしまってあったスキー帽を取り出してかぶった。元旦から開館している美術館に大勢客が来ていた。一昨日と同じ海沿いのコースをとったのだが、砂浜から吹き飛ばされてくる砂粒が頬を殴るようだった。
 とは言え、スキー帽のお陰で、無事に帰宅できた。万歩計は6805歩だった。
 午前中に考えたシナリオに基づいて、9日に迫っている学会の予稿の作成に着手した。夕食後も継続して頑張ったが、予定していた9時までに終わらなかった。続きは明日だ。随分と時間がかかるなあ。
 ここで過去の話に脱線。実は、大晦日に、気まぐれ日記のバックナンバー「小説家鳴海風の隠れ家」に設置してあるアクセスカウンターが、機能していないことに気が付いた。恐らく1年以上そのままだったようだ。ガックリきたが、復旧するのは今しかないと考え、別デザインのカウンターを再設置した。それで、新年(元日)は安心してホームページ(正しくはWeb siteと呼ぶらしい)を更新できるようになった。
 ところが、安心できないことが元日の昨日に起きた。ホームページのことではない。職場の交通事故である。150人ものメンバーを抱えていると、休日ものんびりしていられない。
 ここで、脱線から現在に復旧。雑務がまだたくさん残っていたので、就寝寸前まで働き続けよう。よくやるな、我ながら。

1月3日(土)「歩けども歩けども・・・の風さん」
 今朝の就寝は、なんと午前4時になってしまった!
 昨夜、最後にやろうとした雑務の中で、ケータイ用の音楽ソフトの更新があったのだが、USBドライバーの更新がなかなかできず、とうとう未明までかかってしまったのだ。詳しくは書かないが、問題は二つあって、ケータイ編集用のUSBケーブルと兼用していることが、最後の障害になった。しかし、とにかく意地になって(いつもこれだ)解決をはかった。やれやれである。
 3時過ぎに書斎を撤収しようとしたら、メールが来た。朝の早い職場の同僚からで、今日は岡崎の矢作川(やはぎがわ)あたりでマラソンがあって、出場するそうだ。私もそれくらい元気にならないものかなあ。
 昼まで起きられないかと思ったが、意外と9時過ぎに目が覚めて、そのままベッドを抜け出した。行けるところまで行こう(笑)。
 朝食後、音楽ソフトの続きをやってみた。使えそうな気がする。目的は音楽を聴くことより、英語の勉強である。いやー、涙ぐましい努力だ(^_^;)。
 このまま行くと、机に突っ伏して寝てしまいそうだったので、早々とウォーキングに出発。空は青く晴れているのに、外は強風が吹き荒れているので、昨日に続いてスキー帽はもちろん、さらにサングラスとマフラーという重装備である。
 正月3日目の美術館はさらに混んでいて、駐車場が満杯だった。
 国道を渡って海へ向かうと、風がいっそう強まった。あまりの突風に、前進もままならなくなり、左の脇道へそれた。疎林でも防風効果はてきめんで、日差しが暑く感じられるようになるから不思議だ。いかにも田舎といった小道を歩いているのだが、なかなか立派な家が突然目の前に現れるので、うろたえる。
 あっという間に国道に出てしまったので、戻ることにした。今日は南北両方向への交通量が多い。仕事も遊びも忙しくやる日本人が戻ってきたのだろう。
 国道からそれて、田んぼのあぜ道を歩いてみた。柔らかな地面を歩くことなど、ふだんは全くないから、変な感じだ。
 名鉄の高架の下をくぐって無人駅へつながる道へ折れた。左側から迫ってくる木々から落ちたどんぐりがたくさん転がっている。我が家の仏前には様々な色の菊が供えてあるが、冬でも花は咲いているし、枯れたように見える木の枝にびっしりと芽がふくらんでいたりする。自然に目が行くのも散歩……おっと、ウォーキングだった、外歩きの利点である。今日は5347歩。
 昼食後は書斎周りのゴミ出しPart.6。
 さすがに眠くなってきたので、休憩後、昼寝。
 夕食後は、また予稿論文に取り組んだ。時間がかかるなあ(ため息)。
 
1月4日(日)「感覚が大事・・・の風さん」
 毎日が休みだと曜日の感覚がなくなる。
 それでも、季節の移り変わりには敏感になるらしく、
 「最近急に日が長くなってきたわ」
 とワイフが言うのへ、そうだね、と容易に頷くことができる。
 しかし、
 「だいたい1日に4分ぐらい日が長くなるから」
 というワイフの主張には、無造作に同調するわけには行かなかった。
 別に私が理系だという意味ではないが、簡単な計算ぐらいはできる。おっと、計算とは言っても、天文学の計算ではない。その分野の小説を書いているからと言って、私は天文方(てんもんかた)のレベルにはない(笑)。
 単純計算である。日の出でも日の入りでもかまわない。冬至と夏至でどれぐらい違うか。ざっと3時間と見積もると、180分だ。1年の半分が180日ぐらいだから、1日が長くなったり短くなったりする時間は、平均すれば1分ということになる。
 「1日に4分も日が長くなったら、冬至と夏至で、日の入りが12時間も違うことになるよ」
 「計算はそうかもしれないけど、ついこの間冬至だったでしょ? あれからの日の長くなり方は、だいたい1日に4分くらいよ」
 とワイフは譲らない。
 ……で、今朝の新聞で昨日の日の入りとを比較することになった。
 「あれれ? 昨日が16時52分で、今日が16時53分だって!」
 「ほれ見ろ。差は1分じゃないか」
 私は勝ち誇ったように言ったが、ワイフは納得しなかった。
 しかし、計算は計算。人間の感覚が芸術を生み、人生を豊かにするわけだから、とことん真理を明らかにする必要はない。
 今日も、昨日と同じような1日で、ウォーキングは6708歩だった。風がおさまって、青空が広がっていたから、実に気持ちよかったな。

1月5日(月)「休暇の最終日・・・の風さん」
 今日も昨日に続いて小春日和である。長い年末年始休暇だったのに、仕事がのろいものだから、思ったことの3分の1もできない。しかし、やりかけたことで決着のつけられそうなものは、おしまいにしなくては。
 朝から、最も締め切りが迫っている予稿を含めて、とりあえずの成果を大野先生へメール送付した。先生は明後日から仕事だと言うので、まだ見てもらえないかもしれないが、とにかく前進あるのみ。
 そうしたら、非常にありがたいことに、別の先生からアドバイスのメールが届いて、お陰さまで、さらにリファインすることができた。感謝。
 今日は、ウォーキングと片付けを中止して、ワイフとお好み焼きを食べに行った。いちおうランチ。連休中にさっぱり家庭サービスをしなかったので、これくらい付き合っておかなければ……と思ったが、ワイフにおごらせてしまったことと、タイヤの空気圧補充を真剣にやってあげなかったことと、帰宅して、購入した灯油のポリタンクを家へ運んであげなかったので、超不機嫌にさせてしまった。もうちょっと優しくしてやるべきだった(反省)。
 しかし、心中、休暇の最終日で焦っていたのだ。
 休暇中に出来なかったことがわんさとあるが、1月いっぱいかけて、少しずつやっていかなければならない(と言いながら、実は、頭の中ではパニック状態だったりする)。とりあえず、今週の金曜日は、緊急有休だな(笑)。

1月6日(火)「会社の新年が明けた・・・の風さん」
 6時起床。外はまだ真っ暗。しかし、今日から会社である。
 初日なので、少し早く出社することにしていた。
 それにしても寒いな。やはり1月は最も気温が低くなる時期だ。
 ケータイで英語の録音を聴きながら最寄りの駅まで。電車の中では読書。会社バスの中で再び英語の録音。……うーん、やる気満々だな。
 会社に着いたら、オフィスは真っ暗だった(笑)。
 今週のスケジュールを確定することから始めて、あとは淡々と新年の行事をこなした。まだトラブルが発生していないので、何とか雑用も片付けることができた。本社へ現場の作業着で行ったら、専務に見つかって「いいよね、それ。作業しやすいし」と言われた。
 公式行事が終わって、速攻で帰宅。
 最寄りの駅から自宅まで、けっこう急な坂道があるが、ウォーキングの成果か、全く苦にならなかった(寒さは今朝よりもきつい気がした)。
 帰宅したら、またどっさり年賀状が来ていて、ちょっと焦った。幸い、出さなかった人からの年賀状はわずか2通だけだった。
 昨日作成した論文の最後の仕上げに取り組んだ。

1月7日(水)「ボケを3連発・・・の風さん」
 ボケの繰り返しで疲れた1日だった。
 製作所を出発し、本社へ寄ってから京都へ出張する予定だった。
 最初のボケ。私には珍しく漠然とスケジュールを記憶していたので、いざ製作所を出発する時刻になって、のぞみの発車時刻をチェックしたら、11時53分発。とても本社へ寄っていられる状況でなかった。間に合わないのだ。しかし、本社へ寄らないと、明日の東京出張の切符が手に入らないという、実は追い詰められた状態だった。
 しかし、無理な無理。諦めて、最寄りの駅の駐車場にミッシェルをとめて、名鉄で名古屋へ向かった。
 第2のボケ。JRの改札口を通る時、うっかりして帰りに使う予定の回数券を使ってしまった(往路はちゃんと指定がとってあったのだ)。それでもすぐ気が付いたので、駅員に申し出て、その切符に証明のハンコを押してもらった。自動機で指定はとれないが、帰りに使えるという。
 二度あることは三度ある、というのが昔の人間の口癖だ。この時点で、警戒と恐怖で頭はパニック状態になった。
 そして、本当に第3のボケがすぐに起きた!
 11時53分発ののぞみに乗るため、ホームで待っていたら、のぞみが定刻に入線してきた。そして、いざ乗り込もうとするときに、重大な間違いに気が付いた。そののぞみは上りの東京行きなのだ。
 振り返ると、自分が乗るべき下りの博多行きものぞみも、向こうのホームへ入っているではないか!
 急いで階段を駆け降り、反対側のホームへは、エスカレータを駆け上って出た。
 間に合った〜。
 しかし、もし気付かなかったら、と思うと、背筋がぞっとする。乗ったが最後、新横浜まで停車しないのだから。
 こりゃ、人生の終焉が近いのではないか、とあらためて思ってしまったぞ。

1月8日(木)「誰の就職のため?・・・の風さん」
 昨日は出張の仕事が終わった後、本社へ行って切符を入手したので、今日は自宅からそのまま東京出張に出発できた(笑)。
 昨夜、3月の機械学会東海支部で発表するための予稿の最終修正をしたものを、名古屋駅のポストへ投函した。明日が締め切りだが、間に合うだろう。宛先は名古屋大学だし。
 朝刊の予報通り、東京は名古屋よりも気温が低く、寒かった。
 今日の往復の新幹線車中だけで、1冊読み終えた。今年やっと1冊目だ。読みかけて年を越した本がいっぱいあるけど。
 帰宅したら、大学生の就職活動のための案内葉書が私宛に来ていた。
 「長男宛ての間違いじゃないか?」
 そう呟きながら、裏面を見ると、確かに合同企業説明会の案内で、私には関係なさそうに見えた……が、もっとよく観察してみると、
 「2010年3月卒対象……って、僕のことじゃん!」
 来年の3月なら、私はドクター3年を無事に終了する計算だ(笑)。
 無事に終了できるかどうか、今が瀬戸際なので、明日は緊急有休で論文の準備である(大笑)。
 
1月9日(金)「轟悠さんの部屋・・・の風さん」
 ディスプレイを増設し、2画面体制を整えた。会社では多くの同僚がそうして業務効率を上げている。遅ればせながら、私もそれができる状態になった。
 昨夜は早めに寝たので、今朝はバッチリ早起き。がんがん仕事がやれる気がする。しかし、寒い。冬はこれからが本番だ。
 3月に研究発表するための予稿と10月にドイツで発表できるかどうかの第一関門となるAbstractが今日のノルマだ。どちらも来週の15日が締め切りなので、明日、大野先生の指導を受けられる状態に持っていかなければならない。
 朝食後、元気一杯、書斎へ直行した。
 「おはようございます!」
 誰に向かって挨拶したかと言うと、タカラヅカ専科の轟悠さんだ(^_^)。昨年初めて彼女の舞台を観て、ファンになってしまった。東京でもまた観てしまったという、あれだ。「黎明の風」。何と言っても素顔が美しい。書斎のドアの外側に、轟悠さんのカレンダーが貼ってある。
 (よし。これからこの書斎は轟悠さんの部屋、と名付けよう)
 誰にも知られないように、心の中で堅い決意をした……、とここに書いちゃ、バレバレか(笑)。
 精密工学会の予稿が出来たのが、午後9時過ぎ。
 CARV2009のAbstractは、午前2時になっても出来なかった。

1月10日(土)「老いぼれシルバーに我が身を見る・・・の風さん」
 午前5時に書斎のカーペットの上で目が覚めた。
 石油ストーブが消えていた。タンクが空になっていた。
 フラフラしながら玄関の土間に置いてある石油のポリタンクまで行って、補充しようとしたら、半分ほど入ったところで、ポリタンクも空になってしまった。
 寒い。
 しかし、たとえ3時間ほどでも寝たので、頭がスッキリしていた。疲労も取れていた。パソコンのキーを叩いて作業を再開した。
 午前8時前にいくらか目処がついてきたので、さっと入浴して、朝食も摂った。朝食はいつも通りにトーストとホットミルクで自分で用意するのだが、その間に、ワイフが目玉焼きを作ってくれた。のろまの亭主を気の毒に思ってくれたらしい。ソーセージが3本添えてあって、美味かった。
 ダイニングには大型の石油温風ヒーターがある。石油タンクが屋外に設置してあるタイプだ。タンクの容量は90リットルだったかな。ま、そんなことはどうでもいい。そのヒーターの周囲はうちの猫の溜まり場だ。
 今年で17歳になるシルバーがすっかり老いぼれてきた。まるで自分の姿を見るようで、何も言えない。
 足腰もかなり弱っている。ヨタヨタとしか歩けないし、じっと立っていても、今にも倒れそうだ。内股の後ろ足など、震えている。腰を抜かして、その場にへたり込みそうな感じがする。
 老猫にも、人間と同じようにカルシウムが必要だろうと、気が付いたときはミルクを分けてやっている。
 今朝も、私の姿を発見して、ミルクをくれ、とせがんで鳴いた。
 どれどれ、と思ってシルバーの皿を見たら、昨夜、私が与えたミルクがそのままだった。抱きかかえて皿の前に連れて行ったら、ぴちゃぴちゃ舌を入れだした。目が弱っているらしいことは分かっていたが、鼻も利かなくなってしまったようだ。
 昼前にAbstractも完成し、大野先生へメール送信しつつ、今日のゼミのための資料をすべてプリントアウトし、さらに研究費で手に入れた16GBのUSBメモリーに研究資料を(全部で2.9GBある)全部コピーした。
 昼食後、重たいカバンを肩にして家を出た。
 今日のゼミで論文関連が一段落した。
 大野先生と夕食を一緒に摂ってから帰宅した。
 生ビールで酔っていたが、やはり外は寒かった。
 
1月11日(日)「作家業復活・・・の風さん」
 昨年からず〜っと頭脳のほとんどを占領していた論文関連が一段落したので、なんと10時間も睡眠をとってしまった。
 まだまだ学業は続くけれど、これからはもう異常なペースはやめる。少なくとも作家業と半分半分くらいにはするつもり。
 早速、作家の仕事が一つ増えた。某雑誌の連載だ。小説ではないので、しっかり構成を決めて、きちんきちんと書いていく。だからと言って、コンスタントに書く余裕はないから、連載開始前にラフ原稿は書き上げてしまうつもりだ。ぼーっとしているヒマはないぞ。
 ちょうど良い節目の日になったので、今日は、注文してあった遠近両用メガネを受け取りに行った。老化は避けられないが、前向きに生きて行こうと思えば思うほど、老化に抵抗したくなる。
 試運転として、そのメガネをかけて名古屋まで電車で行き、県図書と三省堂に寄って帰ってきた。けっこう楽そう。
 電車の中で、今年2冊目を読了(昨年から読み続けていた本)。
 
1月12日(月)「成人式・・・父親?の風さん」
 いったん年末年始休暇が明けて、先週から出社したものの、すぐに論文作成のために週末に休んでしまったため、また今日から新年のような気がする。それで、気分も新たに、遠近両用メガネで出社してみた。
 そのせいでもないだろうが、寒い朝だった。
 たまたま会議の少ない1日だったので、たまっていた雑務を猛烈な勢いでこなした。これで明日から、少しはまともに仕事ができそうだ。うれしい。
 さて、世間では、今日は成人の日で祝日である。
 実は、うちでも長男が成人式だった。親としてはあまり実感はない。本人が友達とワイワイやってくれれば、それでいいと思っている。もっともワイフはそれだけでは気に入らないのかもしれないが。
 帰宅したら、夕食は赤飯だった。しかし、一番祝うべき本人は、やはり友達と出かけていた。しかも、いったん帰って、着替えてから出かけたと言う。なかなかしっかりしているな。
 さて、再び、自分の話。早く帰宅しても、作業できる時間は限られていることが分かっているので、食事が済むが早いか、書斎へ直行。今夜中にやろうと決めたことを、がむしゃらに始めた……が、あっという間に制限時間を1時間もオーバー! パソコンをシャットダウンして、急いで風呂に入ろうと階下へ猪突猛進……したら、次女が先に入っていた(涙)。
 それで、気まぐれ日記を更新している。あーあ、目標時刻に就寝できるだろうか。
 
1月13日(火)「学業が進展・・・の風さん」
 昨夜は猛烈な風が吹いて、寒かった。
 今朝まだ真っ暗なうちに目覚めたときも、まだ風が残っていて、窓のおろしたシャッターを叩いていた。
 闇の中で風の音を聞くのは、実に侘しいというか切ない想いがする。幸せに包まれた人生を歩んでいるはずなのに、とてつもない孤独感を覚えるからだ。
 駅まで英語を聴きながら歩いた。電車の中では読書。続く会社バスではまた英語。
 今日は会議の多い日で、自分のことはあまりできなかった。ただ、今日の新知識としては、パソコンのパーティションの切り方で、再セットアップしなくても自由にパーティションを切れるソフトがあることを教えてもらったのは、収穫だった。
 帰りは、今朝の逆のパターン。
 夕食後、15日が締め切りの精密工学会の予稿とCARV2009(ドイツ)のAbstractを、それぞれのHP上のシステムから送信した。何か間違いがあっても、明晩やり直しがきくはずだ。指導していただいた大野先生へも結果を報告した。
 明日も充実した日を過ごすために、今夜も早めに寝よう。
 
1月14日(水)「着々と仕事を片付ける風さんの巻」
 連日冷え込む。今日は夕方本社へ行く用事があって、ミッシェルで出社。移動手段がクルマだと寒さをあまり感じないので助かる。
 昨夜も睡眠時間は確保できているので、会社で目一杯頑張ることができた。勢いで、壊れたシステム机の抽斗(ひきだし)まで廃却した(運搬がけっこう面倒だった)。
 密度の高い1日だったが、本社から悠々とミッシェルで帰宅。
 急遽必要になった古い書籍を、相互貸借で借りてもらえるように、地元の図書館に昨夜メールでお願いしていたところ、早速手配してくれ、来週入手できることになった。ありがたい。
 安心して、今夜は、学会誌に投稿する論文の最終の準備に着手した。
 これが少し手こずって、やっとできた資料を、大野先生へ事前チェックのために送るところまでが精一杯だった。
 お陰で、今夜は作家としての活動がほとんどできなかった。
 超高速スピードで入浴し、ベッドにもぐりこんで……直後に爆睡。

1月15日(木)「うれしい感想文・・・の風さん」
 今日は再び電車で出勤。また一段と冷え込む。電車やバスの待ち時間がつらい。若い頃は寒さなんか平気だった。いや、言い方が逆だな。寒さが平気なのは若い証拠で、年をとると、寒さがこたえるようになるものだ。
 やっと論文関係が片付いてきたので、頭の中に作家魂がよみがえってきた。やらねばならないことがたんとある。それらを着実にこなしながら、作品を生み出さなければならない。サーフィンではないが、うまく波に乗らないと、また不調とスランプのどん底に落ち込んでしまう。
 今日は英語の勉強があまりできなかった。
 しかし、往復の電車で読書はいくらか進んだ。
 帰宅し、昨夜に続いて論文投稿の準備を進め、その後、某出版社へ手紙を書いた。
 ちょうど1ヶ月前、大阪で講演をさせていただいた。近畿和算ゼミナール主催の「市民講演会」である。早朝から出かけて、吉祥寺(きっしょうじ)など3ヶ所へ出かけ、取材をしたり、大変なハードスケジュールだった。
 それで、いくらか疲れてしまった私は、自分の講演でちょっと元気がなかった気がして、少し落ち込んだ。
 ところが、あのとき、千里国際学園の生徒さんたちが来ていて(実は、私はてっきり大阪産業大学の学生だとばかり思っていたが、高校生だった)、感想文を書いてくれ、それを先生が送ってくださった。難しい私の講演は、これまで高校生を退屈させることが多かったのに、とても熱心に前向きに聴講してくれていたことが分かり、非常にうれしかった。
 作家復活へ向けて大きな勇気を与えてくれた。
 生徒さんたちの感想はここ

1月16日(金)「スローな週末・・・の風さん」
 やや寝不足気味だったが、目が覚めてカーテンを開けたら、隣家の2階の屋根が明るく浮かび上がっていて、少しだけ夜明けが早くなった感じがした。
 昨日よりも寒さがやわらいでいる。ありがたい。
 出社途中で、昨夜書いた手紙を投函したが、会社には随分と早く着いた。
 今日は会議がびっしりだった。
 昼休みに英語の勉強が少しできた。もっともっと勉強しなければ、10月のドイツが不安だが、今はとにかく少しずつでも積み重ねて行こう。
 夕方本社へ行く予定だったが、行かなくてもよくなったので、帰りにミッシェルに給油して帰宅した。原油価格は依然として低いはずだが、ガソリンの店頭価格は少しだけ上昇していた。あと10円ぐらい下がれば、35年前の価格になるな、と期待しているのだが。
 今週は随分と頑張ってしまったので、今夜は早めに寝ようと思いつつ、気まぐれ日記を更新している。

1月17日(土)「芸術に触れた贅沢な時間・・・の風さん」
 結局、昨夜の就寝は遅くなってしまった。
 サンルームにある家族共用パソコンのCドライブの空き領域が、もうあとほんのわずかになってしまったので、焦っていた。消せるアプリケーションは既に全部削除した。Dドライブに入れても問題ないアプリケーションは、最初からDドライブに入れてあるので、そろそろ限界なのである。
 それで、色々な対策を考えているのだが、パーティションを操作できるフリーソフトの適用をちょっと試そうと、共用パソコンにさわっている間に、次女に風呂に入られた。次女の風呂は長いので、それで就寝が遅れたのである。その次女は、今日はセンター試験の初日だった。
(ちなみに、パーティションの操作については、結局、ソフトを購入した……なーんだ(笑))
 前置きが長くなったが、今日は休みなので、8時間近く寝て起きた。既に外は明るかった(当然か)。
 朝食後、PCメールの転送サービスの設定(3アドレス)をした。
 次女が試験に出発した後、ワイフと、名古屋芸大に通う長男の作品展「REVIEW」を見学に行った。昨年に続き2回目だ。
 空は晴れて風も弱く、絶好のドライブ日和だった。ずっと有料道路を走ったが、交通量も少なく順調に走れた(不景気のために外出が減っているのかな)。
 今回は、アート&デザインセンターで、サン・ヴァンサン大聖堂『聖母の御眠り』模写展をやっていたので、先ずそちらを観に行った。一流の修復家高橋久雄氏による、ブルゴーニュ地方に実際にあるフレスコ画の模写で、模写とは言え、間近に観られるのは貴重な経験だ。しかも、日本画の工法を応用しているという。2年かけた事業に参画できた名古屋芸大生は幸運である。
 見学中に名古屋芸大のオペラ研究会による合唱があった。伴奏のクラヴィノーバの音質が冴えなかったが、学生らの歌は一級品で(昔合唱部に所属していた私にも少しは分かる)、コンサートホールで多くの聴衆の前で歌わせたかった。とにかく素晴らしかった。先生もきっと素晴らしい芸術家に違いない。
 長男の作品はプロダクト・デザインで、体育館の2階に展示されていた。美濃の和紙を利用した行灯など、オーソドックスな作品だった。1階のイラストのコーナーにあるような、アバンギャルドな作風が長男の持ち味かと思っていたが、意外だった。長男は案外普通の人なのかもしれない(笑)。
 ついでにランチを食べて帰宅したが、精神的に贅沢な時間を過ごすことができた。

1月18日(日)「久々に至福の時・・・の風さん」
 今日は午後から天気が崩れるという予報でもあったし、学業もすべてが終わったわけではないが、とにかく書斎に籠もって作家業復活を期する日だった!
 昨夜の就寝が遅かった割に、頑張って8時に起床。次女は既にセンター試験二日目に出発した後だった。芸大を目指す次女は、センター試験を全然重要視していない。一般教養のない芸術家など、天才でない限り、社会に通用しないと思うがなあ。
 ようやく執筆のための参考文献を集中して読めるというので、うれしくたまらない。基本的に3年前に集めた膨大な資料を再勉強するところから開始だ。しかし、これからしっかり勉強する人物は、3年前には物語の中にあまり登場しなかったので、やはり資料として不足している部分もある。そこは、新たに資料を購入したり、図書館で調べることになる。詳しい研究者に教えを請うこともある。……と思っていたら、それらすべてが一気に生じた(笑)。
 午後遅くなって予報通りに雨が降り出したが、執筆のための勉強も予想通りに様々な課題が生じた。
 密度の濃い1日だった。読書や調査・勉強は至福の時と言っていい。
 新たに資料購入の手配もしたし、図書館から借りる計画も追加したし、メールもいくつかやりとりをした。
 夕食後、雑務をこなした。郵便物を5つも用意した。明日投函する。
 
1月19日(月)「投稿論文を投函・・・の風さん」
 昨夜最後に準備したのが、日本経営工学会論文誌への投稿論文だった。昨年9月時点で、英語の論文が先にできていたのだが、それを日本語にするだけで、とてつもない時間がかかっていた。シミュレーション計算のミスなどもあったが、細部も含めてきっちり仕上げるのに、それだけ必要だったのだ。まるで小説を仕上げているような感じで、やればやるほど、新たな問題点が見えてきて、その解決に老化した頭脳をフル回転させなければならなかった。
 製作所の最寄りの駅の改札口を出たところにポストがあり、重くて大きな茶封筒を、投入口から落とした。レフェリーの審査で修正がかかって、最終的に論文誌に掲載されるのは、悪くすると1年後になってしまう。せめて修正だけは猛スピードでやろう。
 朝は風も弱く、通勤は楽だったが、帰宅時はまた冷たい風が吹いていた。

1月20日(火)「会社の品格・・・の風さん」
 朝目覚めるといやに外が暗いので、今日も寒いのかな、と思ったら、風もなくてまあまあ過ごしやすい1日だった。
 今日も往復の電車でしっかり読書したが、会社生活は会議の連続で、昼休みに英語の勉強をする余裕すらなかった。
 余裕がないと言えば、100年に1度と言われる世界的な不況の影響が、ますます激しく勤めている会社に襲い掛かってきている。様々な局面で余裕がなくなりつつある。そういう暗い話が多い中でも、会社としての品格を必死に守ろうとしている姿が見えて、従業員としてはうれしい。こういうときに慌てふためいて、世間から後ろ指さされるようなことをすると、従業員たちも勤務先に対して愛想尽かしをして、頑張れることも頑張れなくなるものだ。愛社精神や勤務先に対する誇りを失ったら、日本の企業はおしまいだと思う。その点、我が勤務先は、必死に踏ん張っている。拙著の著者プロフィールに堂々と勤務先の名前を書いているのは、決してポーズではないのだ。
 帰宅したら、大阪の小寺先生から資料のコピーが郵送されていた。見たい資料だったので、本当にうれしいし、ありがたい。

1月21日(水)「とりあえずは着実に、か・・・の風さん」
 久々にミッシェルで本社へ直行した。やはりクルマは楽だ……が、身体はナマル。
 製作所へ戻る途中でちょっと用事(郵便振替)(笑)。
 午後から会議が続いた。その間に、天気予報通り、雨が降り出したが、それは帰るときまで分からなかった。会議が続いていると、行灯部屋というか布団部屋で仕事をしているようなもので、外の世界で起きていることに気付かない。
 外の世界と言えば、昨夜、オバマ大統領が誕生した。アメリカが正しく強くなれば、また景気が回復すると思う。それまで、我々は真面目に頑張ろう。
 帰宅したら新人物往来社の社長から手紙が来ていた。先週お送りした手紙に対する返信で、長い付き合いになると、男同志の会話ができるから、人生は楽しい。
 新生新人物往来社の再スタートに、私も微力ながら貢献したい。
 
1月22日(木)「10月のドイツが見えてきた・・・の風さん」
 10月にドイツで発表するために、先週Abstractを送ったばかりなのに、もうAcceptanceの連絡が届いた。月末だとばかり思っていたのに。驚き〜! 次は、3月末までにManuscript(A4で6ページの論文)を送らなければならない。着々とオクトーバーフェスト……じゃなかったミュンヘンが近付いてきた。
 昨夜は7時間の睡眠をとったので、元気一杯かと思いつつ出社したが、それほど元気でもなかった。しかし、今日は昼休みに英語の勉強が少しできた。
 退社時刻には、天気予報通りに雨になっていた。
 ここのところ寒いなあ。
 まだまだやるべきことが多いので、風邪などひいている余裕はない。

1月23日(金)「久闊(きゅうかつ)を叙する場・・・の風さん」
 おかしい。目が覚めたら外が真っ暗だった。起床時刻に間違いはない。夜明けの時間が遅くなっているのだろうか。
 睡眠をたっぷりとっているので、頑張れる気で家を出たが、何となく疲労気味である。老化に逆らって無理しているせいかもしれない。しかし、これが男の愚かな生き様だ。
 午前中、仕事に力を入れたら、案の定、午後からバテ気味。
 夜は、名古屋で会社の部次長の新年会があったので、出かけた。多忙でめったに会えない知人らと遭遇するのが楽しみだった。久しぶりに会った人が、けっこう老け込んでいたりして、我が身を振り返ってしまう。元気良く生きていきたいが、それなりに自重すべきかとも思う。
 今日も電車の中では読書に専念したが、なかなか読み進まない。

1月24日(土)「英語の論文の再構成が完了・・・の風さん」
 早寝したせいかもしれない。寒くて目が覚めたら、今朝も外は真っ暗……いや、寝室も真っ暗だった(笑)。
 トイレに行って、もう一度寝た。
 締め切りが迫っているので、のんびりはしていられない。朝食後すぐに英語の論文の再構成に取り掛かった。昨年淡路島で発表した論文が、運良くイギリスから出版される本に収録されるのである。それ用に、フォーマットを整えるのだが、同時に、計算ミスをしたシミュレーション結果のグラフを更新し、日本経営工学会向けの論文を作成したときに改善した「見易さ」を反映するのである。
 これが夕方までかかった。疲れた。久しぶりにキース・ジャレットを聴いてリラックスしてから、気分転換に、読みかけの本を取り出した。
 夕食時までに2冊を読み終えた。手こずっていた本なので、ホッとした。同時並行で執筆マシンのデフラグとエラーチェック、ウィルスチェックまでやってしまった。
 効率の良い仕事をした後は気分がいい。
 夕食後、論文の続きをやった。PDF化も何とかできた。チェックのため、大野先生へ送った。これで、一段落である。

1月25日(日)「天気が好くて、仕事も順調・・・の風さん」
 朝から青空が広がった。日中は気温も上がり、まるで春のような日差しで、何となく気持ちも明るくなった。世の中、不景気の嵐の真っ最中だが、きっとまた春はやって来るという確信が身内にみなぎってきた。
 午前中、相互貸借をお願いしてあった本を受け取りに、地元の図書館にお邪魔した。久しぶりだったので、事務室へ案内され、館長や司書の方と近況を語り合えて楽しかった。
 持参した寄贈本14冊を渡して図書館を後にした。
 午後から岩波書店の「科学」から依頼されている原稿に着手した。
 図書館からの帰りのミッシェルの中で、何を書くか決めたので、始めると早かった。
 夕食前に下書きはほぼ完成した。締め切りは月末なので、病気でもしない限り間に合う。
 夜は、原稿書きは中断して、昨日の論文投稿の続きや「大衆文芸」郵送の準備などに忙殺された。もう少しやりたいことはあるが、今日はこのへんにしておこう。
 
1月26日(月)「iPodのデータが消えた・・・の風さん」
 帰宅してからやることがたくさんあった。こういう時に限って、足元をすくわれるものである。
 夕食後、次女から「パソコンに保存してあったiPodのデータがなくなっているのだけど……」と告げられた。
 この間、我が家の共用パソコンのCドライブが満杯だったので、次女の音楽データをDドライブへ移してからデフラグし、また戻しておいた……筈だった。
 どれどれ、とチェックしてみると、満杯だったCドライブに1.4GB強の空きができている! しかも、次女のミュージックフォルダー内が、空っぽではないか! 
 おかしい……と思いつつ、パソコン内を探してみても見つからない。
 とりあえず、別の保存データ(90曲分)を次女のフォルダーへ移して、今夜は作業を中断した。なぜなくなってしまったのか分からないが、iPodのデータバックアップがネット上で話題になっているところを見ると、色々な原因でデータが失われることがあるようだ。
 共用パソコンの改善は、2月に入ってからだ。
 
1月27日(火)「五十肩にもめげず・・・の風さん」
 毎朝会社でラジオ体操をやっている。少しでも運動不足を補おうという考えだが、自分の体調のチェックにもなる。このところずっと不快なのは、五十肩だ(笑)。右肩が痛くて腕が上がらない。左右で比較すれば圧倒的に右肩を駆使してきたので、その右肩が私に警鐘を鳴らしているのだろう。あまり無理するな、と。分かってはいるが、やはり無理してしまう。そういう性格だからだ。だから、相手は実力行使に出てくるわけだ。何ともはや……。
 月末が近付いている。最後に残っている月末締め切りの原稿がある。下書きはできている。どんどんリファインしていけば、やがて完成する。しかし、一方で、読書もたまっている。ノルマが消化できないまま、どんどん蔵書が増える。昨年は入院もあったのに、一昨年よりも読書量は減ってしまった。今年は挽回しなければ。
 今日、今年6冊目を読み終わった。まだまだ未読の本の山は高い。

1月28日(水)「景気は悪くとも春は近い・・・の風さん」
 朝から小春日和である。
 本社までミッシェルで行き、ミッシェルを置いて、電車でK製作所へ出張した。修行中の部下の様子を確認するためである。二人とも元気で、充実した日々を過ごしていたので安心した。
 帰りの電車を待つ間、ホームから田園風景を眺めていたら、やがて上りの新幹線が電動玩具のような音を残して通過して行った。轟音でもなく爆音でもなく、乾いた風切り音のような音である。しばらくしたら、今度は下りの新幹線だ。そして、上り、また下り。くちばしの特徴から@@系と分かる人なら分かるのだろうが、私には分からない。しかし、わずか10分ちょっとの間に、上下4本の東海道新幹線が走り去って行ったのだ。
 本社のある駅に快速電車が滑り込んだら、ちょうどお昼時で、工事中の人夫が駅の構内、線路脇で弁当を食べていた。のどかな風景である。
 本社で会議に出て、いくつか用事を済ませてから、製作所へミッシェルで向かったのだが、製作所の直前にある交差点で信号待ちをしていたら、横断歩道を小学生が漫画を読みながら歩いて渡っていた。(熱心だな……)と思いつつ眺めていたのだが、よく見ると、その子は七分の半ズボンを穿いていた!
 それだけ暖かな日だったのだ。
 
1月29日(木)「連日の小春日和・・・の風さん」
 昨夜、就寝前に『源氏物語』を読んだので、睡眠不足になってしまった。今頃になって『源氏物語』を読んでいるのは変かもしれないが、ようやくその面白さが分かる年齢になったとも言える。
 今日はミッシェルで出社。昨日と同様、晴れて暖かい。
 製作所で会議の多い時間を過ごし、夕方から本社へ出張(そのためにミッシェルで出社したのだ)。世の中不景気のせいか、何となく、走っている車の動きにも元気がない感じがする。
 本社での会議を終えて、帰ろうとしたら、やはりいつもの大渋滞だった。皆帰宅が早くなったのかなあ。
 明日は超早起きして東京出張である。それでいて、カバンの中身は本ばっかりだったりする(笑)。
 
1月30日(金)「超人風さんの巻」
 最寄りの駅を6時38分発の電車で東京出張に出発した。
 今日の天気予報は全国的に雨である。家内から「さすが東京雨男」と、忘れていたニックネームを浴びせかけられた。
 名古屋までの電車の中でも、新幹線の車中でも、ひたすら資料読みに専念した。
 お陰で、東京に着く頃には頭がフラフラしていた。
 午前中、某社で打ち合わせている間に、雨が本格的に降り出した。
 午後から東京ビッグサイトの展示会を少し見学し、夕方、川崎の近くの某社で打ち合わせた。
 午後5時半。いい加減疲れている時間だ。
 しかし、ここで帰りの新幹線に飛び乗って、柿ピーでビールを飲みながら、最後に幕の内弁当でも食べて爆睡していたのでは、作家はやっていられない。
 再び東京へとんぼ返りである。
 当初、今日は東京泊にして、明日は国会図書館で資料調査と思っていたが、家でやることが多いので、今夜は帰らなければならない。
 それでも、せっかく東京まで出てきたので、出版社と落ち合って、しっかり打ち合わせた。
 土砂降りの中、帰宅したのは午後11時半過ぎである。
 それから、気分転換のつもりで、サンルームの共用パソコンをいじり出したら、はまってしまい。結局、就寝が午前3時近くなってしまった(^_^;)。
 
1月31日(土)「怒濤の1月が終了・・・の風さん」
 何とか昼前に起床できた(笑)。
 カーテンの外をチェックすると、雨は上がっているが強風が吹いている。当地における冬独特の天候だ(雨の翌日は強風が吹く)。今日はどこへも行かずに、たまっている仕事を片付けようと思う。
 朝食を抜きにして(今頃食べるバカがいるか、と言われそう)、共用パソコンにへばりついた。デフラグとエラーチェックの効果を確認するためだ。これがちゃんとできないと、購入したハードディスクのパーティション操作ソフトが動作しないのだ。
 しかし、結果は悲惨だった。これだけ何度も挑戦して駄目なのだから、ソフト的な問題ではなく、ハードディスクそのもの、つまりハードが壊れかけているのかもしれない。いつか折を見て、再セットアップしてみようと思う。
 今日は、県図書から借りてきた資料のコピーに、やっと取り掛かることができた。明日が2回目の返却日なので、うっかり延長しに行って、「予約が入っていますから」と言われたら大変だ。それにしても、古い本のコピーには真剣を使う。私が生まれる前にできた本だから。
 結局、岩波書店の雑誌「科学」向けの原稿の手直しができなかった。これができれば、1月末までの締め切りがあった仕事はすべて完了できたことになるはずだったが。しかし、すごく高密度な1月だった。来月もこの調子で頑張るしかない。

09年2月はここ

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